ある幻想画家の手記

絵画、芸術について思いついたことを書き記してます。画廊はこちら『第三都市幻想画家 福本晋一 ウェブサイト』 http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/ 歴史・事件論の『たまきちの「真実とは私だ」』もやってます。https://gensougaka.hateblo.jp/ メールはshufuku@kvp.biglobe.ne.jpです。

フェルメール『絵画芸術』を模写してみました

 あのダリが、世界が終るとしてただ一つ救える絵画があるとしたらどれを選ぶかとの問いに即答してあげ、描いた画家自身も終生手元に置いていたフェルメールの『アトリエ(絵画芸術)』を模写しました。


フェルメール『アトリエ(絵画芸術)』模写 72.7×60.6㎝
 
ただし原画より、縦横比で60%、つまり面積にすれば36%小さくしています。すなわち原画は50号くらいですが、私の模写はF20号。これは、私のアトリエ自体が大きくないからとか、F20が縦横比が一番合ってるからとかいうのもありましたが、要は金がなくて50号キャンバスが買えないというのが一番の理由だったかもしれません。しかし、この小ぶりサイズで描いてよかったと思っています。なぜなら、この絵、めちゃくちゃ時間かかるからです。
 
この絵、フェルメールにしては大画面ですし、また隅々まで密度高いですからね。正直原寸に近い50号で模写してたらと思うとぞっとします。これが今までこの絵を模写しない理由でもありました。私の経験では、同じ絵なら描くのにかかる時間は単純に面積に比例します。50号だと今回の2.5倍の時間がかかったはず。もういっときの人生すべてこれにかかりっきりになる。ちょっと正直怖いわ。
 
これはフェルメールも同じだったんじゃないでしょうか。ダリは上のように言ってますけど、正直この絵はフェルメールの売りである神々しい抒情性には乏しく、寓意的な面も盛り込まれていてどちらかというとフェルメールとしては大きさともども特殊、理知的な作品です。ただ、これと同程度の作品をもう1作描けって言ったらフェルメールでさえ描けたかどうか。時間的にも体力的にも、そして発想的にも。フェルメールが生涯、この絵を手放さなかった理由も案外ここにあるんじゃないでしょうか。手間がかかったということも手放し難さの大きな要素になりますからね。この絵は『絵画』というものを賞賛するのがテーマの作品ですから、フェルメール自身にしろ、ダリにしろ、画家として特別肩入れしちゃってたというのもあるかと思いますが。
 
ところで、私の模写は大きさ以外に、原画と大きく変えている点がひとつあります。それは言わずもがな、モデルの女性の桂冠(本当にこれが桂の葉か知りませんが)を緑にしていることです。原画は青になってます。もちろん葉は緑に決まってますから、原画は褪色したのでしょう。それは『デルフトの眺望』や『小路』で描かれている木々でも同じです。しかし、私はこの絵においてこの桂冠が緑色であることは非常に重要なことだと思いました。なぜなら桂冠は勝利のシンボルであり、画中の画家はそれを真っ先にキャンバスに描いているところ、ということは、この桂冠がこの絵の中心ポイントということだからです。
 
この絵がフェルメールの制作順序を正確に現わしているかは疑問です。普通、人物画を描くときは顔から描くに決まってますからね。なのに桂冠から描いている。それ、この桂冠がポイントだからであり、ゆえに、この絵においてこの桂冠だけに緑色を使ったんじゃないか、私はそう考えたのです。だからあえてフェルメールの時代にはなかった堅牢な緑色、ヴィリジアンを使って桂冠を強調しました。ほかのカーテンの青色の部分ももとは緑色の部分があったかもしれませんが。
 
ともあれ、個人的にはこれで締まったと自画自賛ならぬ他画自賛しています。