ミスターシービーは三冠馬の中では弱いとよく言われる。確かに1つ年下の三冠馬シンボリルドルフと3戦やってすべて負けており、JC(ジャパンカップ)などは10着に惨敗しているのだからそういわれるのも仕方ないのかもしれない。

左からシンボリルドルフ(12)、カツラギエース(10)、ミスターシービー(1)
JCレース直後のクールダウンから戻ってくるところ
しかしシービーが現役の時は、ルドルフと比べてもそれほど評価は低くなかったのである。というか、むしろ戦前の予想は逆だった。
たとえば両三冠馬が初対決するJC前の月刊優駿を見ると、(↙)
(↙)「僕はシービーの方が上だと思います。シービーの方が僕の好みということもあるかもしれませんが」(高松調教師)
「本当に強いのはミスターシービーのほうなのかもしれない。しかし乗るとしたら(素直な気性の)ルドルフのほうを選ぶだろう」(武邦彦調教師 なおこの人はテレビでも何度もシービーの走り方を非難している)
「私はシービーはシンザン型、ルドルフはメイズイ型と見てたんですけど、ルドルフはメイズイとは少し違いますね。メイズイのように一本調子ではない」(大川慶次郎氏)
「直線の長いJCではシービーが有利とみる」(優駿内の予想)
とこぞってむしろシービーのほうが推されているのである。大川氏の言うシンザン型というのは相手次第でとにかく勝つように走る。メイズイ型とはスピードで押し切って勝つという意味ととっていいかと思う。なお大川氏はのちになって、ミスターシービーはあまり強い印象がないと意見を翻している。まあ多くの人が意見を翻したわけだが。
ともあれ、フタをあけてみればJCではミスターシービーは異常なまでの後方を進みカツラギエースの10着に敗れたため(シンボリルドルフは3着)、次の有馬記念は単勝ルドルフ1番人気、シービー2番人気となったが、それでもまだ力自体の評価は下がっていなかった。有馬記念の最初のゴール板前通過で、シンボリルドルフが単騎2番手にあがったとき、どの馬の騎手だったか失念したが、「ルドルフの奴、かかり気味なので後半シービーにやられるぞ」と思ったと言っているし、またルドルフの岡部騎手自身、このレースでカツラギエースが引退するので、絶対にここでカツラギにJCの借りを返すということで単騎2番手にあがって逃げるカツラギを早めに追いかけたわけだが、このとき「たとえシービーには遅れをとってもカツラギだけはやっつける」と語っているからである。
この部分は「ミスターシービーの存在は無視してカツラギだけを相手に絞った」とも伝わり、「岡部はもうシービーは恐れるに足らぬからシービーを無視した」と解釈されたことがあった。そうではなくて、岡部は「シービーに差される危険性」は認識していたのである。実際、岡部は最終の直線でカツラギをかわす前に、後方を振り向いている。これはシービーが来ていないかを確認したもので、シービーが来ていたら相当の競り合いを覚悟しなければならなかったと述べている。そして来ていなかったので岡部は勝利を確信した。またこのレース後に、他のある騎手は「ルドルフは強すぎる」と語ったのち「シービーなら10回走れば4回は勝てるのかもしれないが」と言っているのも聞いたことがある。騎手たちには、この時点、まだまだシービーの勝てる可能性は見てとられていたわけだ。
実際のところ、ミスターシービー、シンボリルドルフ、この2頭の三冠馬は脚力も勝負根性も秀でていて(どちらも四冠以上とってるのだから当たり前だが)、脚力と勝負根性は負けず劣らずだったと思う。しかも脚力と勝負根性の面では、切れ味があるというより長く良い脚を使える、長く競り合うことができるなど、かなり似たタイプだった。シービーの方が胴体が寸づまりで短い距離向きではあったが。
ただレースの仕方、つまり気性はまったくちがっていた。シービーは最後方から行って、途中から一気にスパートして先頭にまで躍り出るという偏った走り方しかできない馬。対してルドルフは好位あるいは中位につけ、直線抜け出すという合理的、フレキシブルな走り方ができる馬だった。
あたりまえだがシービーの走り方はリスクがありすぎる。しかしこうなったのにはちゃんと理由があり、シービーはいったんスパートすると先頭に出るまでスパートをやめない馬だったらしい。これは他の騎手の証言もあるし、レースっぷりを見てもまちがいがない(特に最後の春の天皇賞)。有馬記念のように前がつまってスパートが止められてしまうときもあったが。
シービーの全レースに乗った吉永正人騎手は、牝馬では大逃げ(ミスターシービーの母シービークインがそうだった)、牡馬では最後方からの追い込みというスタイルが多かった。これは吉永がそういうレースを好んだ、得意だったというより、そういうふうにして勝てる馬との相性がよかったというのが真実だろう。これもルドルフの岡部幸雄騎手の言葉だが、騎手と馬は相性があり、牝馬に乗せるとうまい騎手、クセ馬に強い騎手と「おかしいくらいにはっきり分かれる」のだという。吉永はクセ馬のクセを生かして勝たせるのがうまい騎手だったのだ。実際、優等生的な素質馬モンテプリンスなどに乗ると逆になかなか勝たせることができなかった。吉永じゃなければシービーは三冠をとれなかったという声はレースをともにした騎手を中心に多い。
いったんスパートすると止められなくなる。そんな気性の馬だったから、吉永は前半は馬群の最後方を走らせ、後半にスパートするという戦法をとったらしい。しかもそのスパートは騎手が「行け!」とのサインを出すより、シービーが行きたくなったら行かせる、つまり馬なりのものだった。これもレースを見るからに確かだろう。
吉永がミスターシービーにはこの戦法がいいと思ったのは3走め、出遅れて最後方からのレースとなったひいらぎ賞のときだったらしいが、そのとき吉永が初めて2着に敗れたにもかかわらず嬉しそうにしているので夫人がその理由を訊くと、吉永は「あいつのことが分かった気がしたんだ」と答えたという。何か直観的に、吉永こそミスターシービーの最高のパートナーであったことが感得されるエピソードである。
しかしこの走り方しかできなかったといっても、この走り方がギャンブル的であることにかわりはない。特にこの走り方でどんどん勝たれては、周囲は警戒し、スローペースに落としてくるのは目に見えている。それが現実となったのがJCであり、有馬記念であった。さかのぼって菊花賞などを見てみるとハイペースとなったので非常に運がよかったのである。むしろ血統的にも(父トウショウボーイも連を外した2戦は3000m以上のレースだった)よく長丁場の菊花賞がとれたなというもので、私はファンながらシービーの菊花賞はスターホースが欲しかったJRAがハイペースを仕組んだのではないかという疑いをいまだもっている。それくらいシービーの菊花賞は長丁場のレースとしては非常識なハイペースだった。
しかし、シービーの力が稀有のものであったことも疑うことはできない。今から考えると、実際的な範囲内で、ルドルフに一番勝てる可能性があったのは、JCの反省を生かせた2500mの有馬記念であったと思う。有馬記念ではJCと違い、それほど後ろからはいかず、向こう正面、残り1050mからスパートしている。しかし最内側を通ってスパートしたために、3コーナーで前に壁ができ、そこで一気のはずのスパートを止められるということとなった。となるとルドルフに対し、現実として勝利する位置に一番近かったIFは、この有馬記念において大外を通ってあがっていっていればという仮定となろう。
大外を通っていたらどうなったであろうか。私は外へ持ち出すロスや、ラップタイムも鑑みた上で、スパートしたら止まらない馬であったことからしても、4コーナーではルドルフに並ぶか、あるいは、ルドルフをかわして逃げるカツラギにまで並んでいたと思う。あるいは単騎先頭に出ていたかもしれない。
しかし問題はそこからだ。カツラギはかわせたと思うが、ルドルフを抑えきれたか。これは正直苦しかっただろう。なぜなら、まず、あのときの大外はかなり外にふくらんでいたのでコース・ロスは非常に大きいものになっていたはずだからだ。
どっちにせよこのレース、ルドルフは2500mのレースとしては破格のラスト11.5秒というハロンタイムであがっているので(結果レコードタイムだった)、直線でうしろから「差す」ということはシービーとて不可能だったと思われる。脚力、勝負根性が同じというならそう言わざるを得ない。だから勝てるとしたら、4コーナーでシービーのほうが前に出ていてルドルフの追撃を振り切るというかたちしかないと思う。
実際、これがミスターシービーの勝ちパターンだった。つまり、後方から一気にスパートして先頭に立ち、そのままゴールまで粘り切るというのが。三冠レースはすべてこのパターンである。ルドルフに勝てたかもしれないのはこのケースだけだと思う。もちろん、それはこれなら勝てたと断言するものではない。何度も言うがあのときの大外はロスがありすぎた。ゆえにゴール前失速の可能性もあった。「勝てるとしたらこのパターンだった」というところで結論は永遠に保留ということにしておくのがいいのだろう。もちろん他に、内があいていたらというIFを考えることもできるが、これは現にあかなかったのだから他力本願というもので、今回の考察対象には含めないものとしたい。
しかしシンボリルドルフと戦った3戦はどれもシービーは連にすら絡んでおらず、ルドルフ以前の話であった。そしてシービーが連にも絡めなくなったのは、すでに述べたように、あの走り方でどんどん勝っていったので他の騎手たちがスローペースに落とすということをしたからであった。
シービーは3歳時の三冠達成後は長期休養に入り、ほぼ1年近く競争から遠ざかった。だから古馬になっての初レース毎日王冠では、追い切りで格下馬に大きく遅れたのもあって生涯初めての2番人気に落ちた。しかしフタをあけてみれば、アタマ差の2着とはいえしんがりの位置から33.7秒という当時、驚異となる上りタイムを叩きだし、次の秋の天皇賞では先頭から18馬身ものしんがりから行ってレコードタイムで勝つという離れ業をやってのけた。「ミスターシービーやはり強し!」 次のJCではシービーに日本馬初の戴冠の期待が寄せられたのは当然であった。
なお、シービーが秋の天皇賞を勝って四冠馬となったとき、まだシンボリルドルフは三冠は達成していなかったし、三冠をとったらとったで、その2週間後にJCという強行スケジュールだった。カツラギエースとなると宝塚記念の一冠だけだ。さらには競走馬の一番強くなるのは4歳の秋が普通ということもあって、期待はシービーに集中した。それは上述の月刊優駿からもうかがえる。シービーの強さはその劇的な勝ち方もあいまって、JCの前にはほとんど神がかり的なものとして捉えられるようになっていたのだ。言いかえれば「強さ」が盛られてしまっていた。
シービーは他の馬たちにとってそれほどの脅威になっていた。あのJCのスローペースは、日本馬が逃げてつぶれるのがセオリー化してたのもあったが、何をおいてもシービーの末脚が恐れられたからだ。しかしそのシービーは、まるで今日はレースではないとカン違いしたかのような超後方に位置し(最内の枠だったので、吉永がスタート直後、抑えてしまったのが裏目に出たようにも見える)、吉永も前半でシービーが一気のスパートしてしまうのを恐れたのか、前半に追うことをしなかったために馬群にとりつくこともできないままレースを終えるという結果になってしまった。
ゆえに次の有馬記念では、いつものぽつんと最後方を進む戦法ではなく、「馬群の中に入って戦え」との指示が松山調教師から出された。吉永はスタート直後から追い出したが、それでもシービーは後ろから3番手。JCにつづき、またもスローペースなのに先頭からは16馬身も後ろで、馬群の中には入れなかった。ここらはもう仕方ないであろう。今さら好位につける競馬なんてできっこない。
ただ、ここでひとつ引っかかるのは松山調教師の「馬群の中に入って戦え」という指示だ。これが言ったとおりの言葉そのままなのかは不明だが(それをいえばどの言葉だってそのままなのか不明かもしれないが)、もしそのままなら、それゆえ吉永は外に持ち出さず、インからシービーを突っ込ませたのだと考えられるからである。それゆえ結果として前が壁になり、一度スパートしたら先頭に出るまでスパートをやめないというシービーの最大の武器が不発に終わってしまった。吉永がレース後「どう乗ったらいいか分からなかった」と語ったことからしても、そうだったのではないかと思われる。
そして次の春の天皇賞では一気にスパートして先頭に出たのであるが、シービーは3200mは持つ馬ではなかった。スズカコバンと並んで先頭を走った2600mくらいまでがレースで勝てる限界であったのではないか。またいうが、菊花賞はラッキーだったのである。かといってスパートを遅らせることは、馬なりであがっていく馬だったゆえに不可能だったろう。シービーは「今なら先頭にまで出れるから今から行くぞ」ということでスパートをかけていたにちがいないのである。よし仕掛けを遅らせることができたとしても、3000m以上のレースではスタミナが先に尽きてしまって、先頭に出ることはなかっただろう。
ミスターシービーはこのあと秋も走る予定であったが脚部不安を生じ、その夏そのまま引退した。次の秋の天皇賞にシービーが出ていたらという想像もあるが、これは現実の土台がないので、本記事ではこれも考察はしない。85年の秋の天皇賞はハイペースとなったがシービーが出ていたらそうはなってなかったかもしれないわけで、空想の世界となるからである。だから「ミスターシービーはシンボリルドルフに勝てたか」という考察はここまでとしたい。
脚力自体と勝負根性はルドルフに遜色なかったというなら、あとはシービーがルドルフのようにフレキシブルな走り方ができる馬だったらどうなっていたかという想像も残されているが、これはもっとも意味のない考察だろう。なぜならフレキシブルな走り方ができるミスターシービーは、もうミスターシービーではないからである。
あともうひとつ言っておきたいことがある。当時、人気はシービーで、ルドルフは冷たい走る機械みたいに強すぎたので嫌われていたという話があるが、実はけっこうシービーを嫌う人も多かった。それはおそらくあの非合理な走り方そのものへの批判が一番の理由だろうが、そんな走り方を「あざとい」と感じた人がいたからなのもあったのかもしれないし、中にはシービーより、そんなあざとさにしびれているシービーファンが嫌いだったという人などもいるかもしれない。この記事にしても「何を今さら」と嘲笑する人がいても不思議はない。
しかし私はもう競馬は見ていないが、明石家さんまさんがテレビでいいことを言っていたのが思い出される。それは、自分のひいきの馬が負けても、あのときああだったら結果はちがっていたとずっと言ってそれをつまみに一生酒が飲めるんですというものである。今日はちょっとつまみを私なりにきちんと皿に盛ってみた次第である。