ある幻想画家の手記

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フランク・ロイド・ライト 有機的建築とは何か

 私はフランク・ロイド・ライトの建築が好きだ。なぜかといえば「かっこいい」からだ。「かっこいい」――なんという子供じみた言葉であろうか。であるが実感なのだから仕方がない。しかしライトの建築は、軍艦、飛行機、あるいは未来的宇宙ステーションの想像図といった男児が喜ぶような「かっこいい」ものを連想させるところがある。案外と『かっこいい』という表現は、ライト自身が自分の建築に名づけた「有機的建築」の本質をついているかもしれないのだ。

実際のところ、初期の代表作プレーリーハウスの傑作「ロビー邸」(1906年:下図)は、近所の人たちから「戦艦」(一説には蒸気船)と呼ばれていたという。

 

 

確かに水平に低く伸びる形状は船の船体、存在感のある煙突は船の上部構造物、そして大きく跳ねだした屋根は、戦艦の特徴である主砲砲身の跳ねだしを感じさせる。また後期の代表作であり、ライトのもっとも有名な作品として知られている「落水荘」(1936年:下図)なども、戦艦の艦橋に見えないこともない。(下々図はドイツの戦艦ビスマルク:1940年竣工)

もちろんライト建築の原型が「戦艦」であるわけではなかろう。しかし、「ロビー邸」、「落水荘」とも戦艦に似ていることに気づいた次に、われわれはこれらがもうひとつの「乗り物」に似ていることを発見するのである。

下図を見ていただきたい。「ロビー邸」も「落水荘」も、メインに大きく伸びた水平部Aがあり、その上に水平部Aと直角方向に小さな水平部Bが跳ね出している。そしてこの水平部Bを支えるような垂直部分CがAを貫いている。そう、今度は「航空機」に似ていることに気づくのだ。

「戦艦」と「航空機」。どちらも近代工業機械の代表的存在である。ここで立てたくなる仮説は、ライトの建築形態は、近代工業機械の機構美と同根ではないかということである。これは「住宅は住むための機械である」という文脈での意味ではない。またライトが軍艦や飛行機を模倣したということでもない。機械の形態が作るその「美」とライトの建築の美が、外見的美的レベルで同質なのではないかという意味である。

ちなみに画期的な英国の近代戦艦ドレッドノート(超ド級という言葉の語源となった)が竣工したのが1906年であり、「ロビー邸」の竣工と同じ年である。航空機についても同時代性が見られる。ライト(!)兄弟が初の動力飛行に成功したのが1903年ライト兄弟の航空機はプロペラが後ろにあり、今の飛行機と形がかなり違うが、現在の航空機の形、つまり上のモデル図に見るような航空機の形を作ったフランスのブレリオ機が航空機の最初の偉業たる英仏海峡横断を果たしたのは、やはり1906年のことであった。

機械のメカニカル形態がなぜ建築の上に降りてきたか。今も申し上げたが、別にライトの建築は、その機能的必然としてそういう形になったわけではない。また「戦艦」「飛行機」の形態を真似したわけでもない。だが、機械というものは、相互の部分部分が必然を持ってあるひとつの目的を果たすために構成されているものであるのだから、それは有機体と呼んでもいいだろうし、また生命体に類似しているともとれる。このことはヒントのひとつになろう。

早い話が、ライトは建築を一個の生命体と見なしているのではないかということである。別の表現を使えば、ライトは建築を、生命の喜びである動性の発露であると見なしている。ライト自身にそれを指摘すればそんなことは意識的に考えてないというだろうが。

機械もひとつの目的のために還元される機能性を持っているのであれば、一般論的にいって、同じ機能を持った生命体と機械はおのずと似てくるだろう。鳥と飛行機は似ざるをえないのである。この動性、有機性が生む美を建築にあらしめようと意志したら、どうなるか。建築は生命体でも機械でもないが、(住宅は住むための機械であるというのは、近代建築黎明期の革命においてのみ意義があった概念にすぎない)、建築が工業資材で構成されるものである以上、生命体ではなく、機械の形状に似ざるを得なくなるのだ。

この「動性を建築に反映する」という文法を可能にしたのは、近代工業技術であった。ライト建築を構成しているパーツはそれ個々自体が完結的である。あるひとつの壁にしても、あるひとつの屋根にしても、それ自体が完結している。つまり壁自体、屋根自体が部品的なのである。このような建築エレメントのパーツ化とでも呼ぶべきものは近代工業技術が可能にしたものである。たとえば、ライトの形態のもっとも大きな特徴は、低く伸びる水平性――それでいて地面から浮いているように見える――だが、この形態自体、「ロビー邸」の異常なほどの軒の出が木材でなく鉄骨でできているように近代の工業技術なくしては不可能なことだった。そこでは屋根はひとつの完結したパーツと化している。パーツ化したそれらは建築現場的具体性の束縛から解放され、自由な構成へはばたくことができる。パーツ化して独立した部品たちが、X方向、Y方向、Z方向に配され、かみ合わされて、組み立てられる。これは内部空間においては流動性をもたらすものとなるだろう。これは今までの建築にはなかった構成手法である。むしろこの完結したパーツを組み立てるやりかたは子供の積み木遊びに近い。そしてライトこそ幼い時、積み木に深く親しんでいた子供なのであった。

今、子供といったが、実際、ライトは終生、子供っぽさを多分に残していた人間であった。彼のパースつまり《完成予想図》やスケッチにおける色鉛筆での着色の仕方なども、何か子供の塗り絵を思わせるものがある。

この事実はライトがなぜ、動的、有機的性質を建築に取り込んだかの証左となるであろう。子供が機械、とりわけ乗りものを喜ぶのは、それが、原始的な生命体の歓喜であるところの『動性』を持っているからだ。

ライトに形態のイメージを与えたものとしては、日本建築にまず指を屈すというのが常識となっている。しかしライト自身は、浮世絵の単純さからは学んだが、日本建築からの影響は人が言うほどではないと最後まで拒否的であった。実のところライトは、日本建築の真骨頂であるところの、夏の蒸し暑さ対策を基準とした風通しのよい開放性、地面がぬかるみやすいゆえの高床、貧しいがゆえの簡素の美学など、日本建築の本質であるところを学んだとは言えず、あくまで日本建築の深い軒の出、水平性といった外見だけを真似ている。流動的な内部空間にしてもそうで、それは日本建築側から見れば、内実の模倣ではなく、外見的模倣なのである。そう、ライトは外面的な形態の美を模倣するのだ。機械、及び建築がなぜそのような形をとるかという内的なロジックには彼は興味を示さない。モダニズム建築の玉条「形態は機能に従う」などという言葉を一笑に付す。ただ彼は、有機的な美の、いや、「動的な美」の構成を目指すのである。私が彼の建築を、カッコイイという子供じみた表現で賞賛する理由もどうやらここにありそうである。

近代建築史では芸術作品寄りであるとして傍流扱いされているライトだが、実際にはその設計ボキャブラリー、原理、手法もまた近代工業の上に成り立っていたといえよう。この意味では、ライトもまた、工業時代の作家であった。もっとも時代の作家でない作家がいるだろうかというものであるが。

                        2014年9月14日