ある幻想画家の手記

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カルロ・スカルパ論~ブリオン家墓地における陰陽の表現

 1、建築物設計を超える建築家

私が好きな建築家は、フランク・ロイド・ライト白井晟一、そしてイタリアのカルロ・スカルパの3人であるが、この3人はみな建築史的には主流とは言えない。特にスカルパは、建築家と呼ぶことさえやや躊躇したくなるところがある。スカルパの作品には建築物らしい建築物がないからだ。
 
スカルパをスカルパたらしめている作品のジャンルで圧倒的に多いのはリニューアル、つまり既存建築物の改装である。新築の個人住宅もいくつかあるにはあるが、彼一流のディテールの冴えもあまりなく、場違い感が目立ち、彼のキャリアとして中心的なものに扱われていない。
 
実際スカルパは、ディテールの作家、細部の設計の作家とよく呼ばれる。つまり手すりとか、照明器具とか、排水口とかのデザインを工芸品よろしく凝る。もちろん建築家は皆、ディテールを重視する。が、それは建築全体の巨視の視点からトップダウン的に捉えられるのが普通だ。ディテールをディテールのために凝るような人はいない。ゆえにスカルパは『建築家』とは違う別の呼称がふさわしい作家という印象を我々に与えずにはいない。
 
スカルパとは何者なのか?
 
彼の真骨頂が仮にディテールにあるとしよう。しかしそのディテールの意義はといえば、それ自体のデザイン性より、その見せ方、置き方にあるように感じられる。換言すると、スカルパは、「魅力あるディテールの設計者」というよりは、「ディテールというオブジェを美しく展示するすばらしい展示デザイナー」というほうが当たっている気がする。彼の代表作の多くが、美術館(もちろん改装、または増築の)やショールームであり、また数多くの展示レイアウトをデザインしてきた経歴も、このことを裏付けている気がする。また上述のように、住宅設計でスカルパが今ひとつなのも、真骨頂のディテールが否応なく「住む」という現実的機能の後ろに追いやられてしまうからではないか。
 
スカルパの作品には建築物らしい建築物がないと私は言ったが、全体像、完結性をもった作品がひとつだけある。彼の代表作である「ブリオン家墓地」だ。この墓地の建築主は、上に言ったように、スカルパのことを、優れた「オブジェの展示デザイナー」として見抜いたがゆえに、スカルパに設計を依頼したのではなかったろうか。なぜといえば墓石はオブジェだからだ。しかしこの「ブリオン家墓地」は、墓石を展示したというだけのものではない。それは彼の言葉を借りれば「実に奇妙なもの」なのである。
 
「ブリオン家墓地」の全体プランは以下の通りである。敷地はL字型で、そのL字の両端にぞれぞれ「池に浮かんだパビリオン」と「礼拝堂」が配置されている。そしてL字の角のところに、メインとなるブリオン夫妻の墓がある。ブリオン夫妻の墓石はそれぞれが寄り添うように向き合っている。その上には太鼓橋のようなアーチの屋根がかかっている。
 
ブリオン家墓地 略図
 
ブリオン夫妻の墓
 
この屋根のかかる墓石は変わったものであるが、イタリアではかつてあった形式のものらしい。むしろ墓石そのものより、「奇妙」に思われるのは、パビリオンである。これは人工の池の中に浮島のようにあって、箱型の屋根がかけられている一種のあづま屋であるが(下図)何のためにこのようなものが必要だったのか?
スカルパによればこれは、スカルパ自身のために設計したものだそうで、彼はしばしばこのパビリオンに瞑想に赴いたそうである。私はそれを聞いたとき、スカルパがこのパビリオンで座禅を組んでいるところを想像した。おかしくはない。スカルパは日本建築、日本文化の影響を大きく受けており、日本を旅行中に仙台で死去した。(一説によれば、不治の病に犯され、憧れの日本で自殺したのだという)何より、この池には仏教の象徴である蓮が咲いている・・・。
 
ここまで来たら、このパビリオンが日本、あるいは東洋を表していることは、そのL字型敷地の反対端にあるものが礼拝堂(もちろんキリスト教の)であることから考えて、もはやあきらかであろう。池に浮かぶパヴィリオンは、太平洋に浮かぶ日本であり、池に半身を乗り出している礼拝堂は彼の母国のイタリア半島に違いないのだ。また入り口にある青と赤の二重円のモチーフの意味も二極性とその結合を暗示している。(下図)
つまりこれは枯山水と同じく、「世界」を表している。けだし東洋と西洋の接点にある中心部の夫妻の墓が向き合っているのは(橋がかかっているように見えるのも)男女、陰陽、東西二元の融合の象徴なのだ。スカルパがここまで自覚していたかは私は寡聞にして知らないが、スカルパが瞑想の場として東洋を選び、また夫妻の墓へも東洋側の池から水路を伸ばして潤いを与えているところから考えて、はっきり意識していたように思う。弟子の豊田博之氏によれば、スカルパは設計中、ディテール設計に拘泥し、そこから抜け出れなくなることがしばしばであった反面、意外なことに(あるいは意外ではないかもしれないが)、全体構成は、最初に敷地を見た瞬間に閃くタイプの作家だったという。
 
スカルパを優れた「建築物」のデザイナーと考えるのは難しいが、このような壮大な表現ができたことはスカルパが、ただのディテールだけの作家ではないことを証明していよう。彼にはむしろ機能や法に縛られた「建築物」なるものは、表現の媒体としては小さすぎるものだったのかもしれない。
 
The Brion family cemetery created by Carlo Scarpa represents the West and the East. The chapel is Italian peninsula, and the pavillion is Japanese islands in the sea.
 
 
2、貧しさの美学の勝利
スカルパの作品について、まず真っ先にその魅力と思うことは、小規模で一見チマチマしていてときには貧相とも、隠居趣味的とも感じることさえありながら、実は豊かであるという驚きと興奮だ。スカルパにもまた、白井晟一論で語った日本的感性……貧しさの美学、抑制の美学が見て取れる。そこで、この抑制の美学を軸に、白井との比較をしながら、スカルパを語ってみよう。
 
一年年長ではあるが白井はスカルパに私淑していたようである。親和銀行東京支店に始まる白井晩年の『石の時代』における、厚い壁の開口部の切り方、スタッコ仕上げの壁、床の段差の演出、美術品の展示の仕方、何より和洋の共存に、スカルパの、特に「カステルヴェッキオ美術館」の影響を見て取ることは容易であろう。
 
白井における断片の羅列による全体像の暗示という手法を私は「抑制の美学」と呼びうると述べた。これに対し、スカルパ作品の断片たちは、何かを暗示するという性格は薄い。私は「ブリオン家墓地」において、そこに洋の東西と、その融合を見てとったが、それすら暗示として積極的なものではない。実際「ブリオン家墓地」が洋の東西を表しているということについては、あまり耳にしたことがない。
 
しかし、スカルパの作品も、十分に全体像としての「世界」を表現できている。白井が「全体像」を『暗示』するのに対し、スカルパはディテール、オブジェの対比配置で、全体像、つまり「世界」を現しているのだ。この意味では、スカルパのほうが白井のそれよりも、利休の草庵に近いと言っていいだろう。いわば白井は形而上的、スカルパと利休は形而下的なのである。
 
スカルパの建築ボキャブラリーはその規模の小ささに関わらず多彩である。その彼の建築的語彙の中でも私が特筆したいのは「水」である。
 
スカルパはその作品の小規模さにも関わらず実によく「水」を使う。ポッサーニョ石膏美術館増築棟の端部には日本庭園の匂いがする池があり、クエリーニ・スタンパーリア図書館の裏庭には、水路めいた小さな細長い池(下図)があり、室内インテリアの改装であるオリベッティショールームにすら、入り口に現代彫刻を写すための水が張られている。ブリオン家墓地については言わずもがなである。
 
スカルパにおいて「水」は必須の構成ボキャブラリーである。彼は「水」を用いて世界を表す。「水」それは形なきもの。いわば建築とは対極にあるものだ。そう、「世界」を表すのには、何も森羅万象すべての暗喩をぶちこむ必要はない。ただ的確な対比、二元に圧縮して示すだけで十分なのである
 
スカルパの作品は、小さいながらも「世界」を表現しきっている。「全体像」を表現しきっている。だから豊かなのだ。
 
これこそ「貧しさの美学」「抑制の美学」。いや、もっと正確に言うと「貧困の中でも巨大なもの、全体を表現するという気魄の美学」なのだと私は感じるのである。
                          2014年9月7日