ある幻想画家の手記

絵画、芸術について思いついたことを書き記してます。画廊はこちら『第三都市幻想画家 福本晋一 ウェブサイト』 http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/ 歴史・事件論の『たまきちの「真実とは私だ」』もやってます。https://gensougaka.hateblo.jp/ メールはshufuku@kvp.biglobe.ne.jpです。

エドガー・アラン・ポー「鴉」を訳してみました

エドガー・アラン・ポーの代表作の詩 「カラス(The Raven)」を訳してみました。Ravenはcrowのカラスではなくワタリガラスのことらしいですが、かえって分かりにくくなるのでやはり「カラス」にしました。ポーはこの詩を自己解説した「構成の原理」というエッセイで、カラスが口にする「Nevermore」という言葉のリフレインを効果的に使ったのだと主張していますが、これが従来は「もはやない」とか「またとない」とか訳されてて、ポーが狙ったmoreの語尾のrの巻き舌の余韻とかがないと思ったので、私はここで「ネヴァーモー」に発音も近い「ないんだもう」という日本語に置き換えてみました。「ねえわもう」ならもっと近いかもしれませんが、さすがに「ねえわもう」と訳したら、ここから先を読んでくれる人は、ねえわもう。あとはかなり思い切った意訳、というより短くしています。なんか現代日本人にはよく分からない形容も多いので。

 
         Edgar Poe
 
とあるうら寂しい夜 忘れ去られた古い奇書
それを読む目も疲れ果て 思わずまどろみかけたとき
ふと扉を叩く音 
「客か」 そう それだけのこと 他にはない
 
それは燃え尽きた暖炉の薪が
もののけの形に散った師走の夜
書物に悲しみを忘れんと レノアへの悲しみを忘れんと
ただ朝が来るのを願った夜
ああレノア その輝く乙女はもうこの世にはない
 
赤いカーテンの衣擦れが 私をおびやかし
怖ろしい動悸を沈めんと 私はまた同じ言葉をつぶやいていた
「部屋の戸を叩いたのは夜遅くの客
 ただそれだけだ そう 他にはない」
 
「そこの方」 落ち着いたふりで、私は戸に向かって言葉を投げる
「お詫びする 私はまどろみかけていた 
 だからあなたのノックの音がわからなかった」
そう言って扉を開ける そこにあるのは闇ばかり 他にはない
 
闇を前に私は立ち尽くす いぶかりながら 恐れながら
そして起こりえぬ奇跡をわずかばかりに期待しながら
「レノア?」 このひとことが静寂を破り
「レノア」 こだまが返す こだまばかり 他にはない
 
おさまらぬ胸騒ぎを抱え 部屋の中へとって返せば
またも聞こえる 先よりもはっきりとしたコツコツとの叩く音
「窓か ならば風 そう 他にはない」
 
私は鎧戸を開け放った すると鋭い羽ばたきの音
飛び入ってきたのは一羽の漆黒のカラス
挨拶もなく 部屋の中を飛び回ると
やがて戸の上の 理性の女神の像の上に足をとめ
そして身じろぎもない
 
しかしこの鳥の神妙にも見える表情に
私の心はしばしのなごみを得た
「お前は何者だ」 私はふざけながらに問う
「名を言え 闇の世界の住人にふさわしいその名を」
カラスは答えた 「ナインダモウ」
 
驚愕した あまりに明瞭なその言葉に
意味を知り発されたものか否か
しかし私の問いに答えたようにも思われた
つまり鳥の名前は「ナインダモウ」
 
そのひと言ですべてを語り尽くしたようにカラスは黙し
羽根一枚震わせず ただ静かに女神の像の上にうずくまる
「友は皆」 私はつぶやく 「とうの昔に私の元を去った 
 希望がすでに飛び去ったように
 明日になればこいつもまた飛び去るのだろう」
するとふたたびカラスは「ナインダモウ」
 
出るはため息
「その言葉 不幸つづきの飼い主にでも教わったのか
 悪運につきまとわれ 破産、破滅
 そしてすべてをなくした者の口癖とした言葉
 それがすなわち『ないんだもう』」
 
もれるは苦笑
しかし私は長椅子に身を沈め、この不吉な鳥から目を離せないまま
その言葉の意味を考えていた
一体何が もうないのか?
 
頭を背もたれにあずけ、黙思する
鳥の両目が私の胸の中で燃えさかる
そう! この長椅子のビロードに レノアが身をあずけること
それだ それは ああ ないんだもう!
 
そのとき天国の幻が私の部屋に香り立った
「そうだ 私にはこの薬があった
 すべてを忘れさせてくれるありがたい薬が
 飲めばレノアのことを忘れられる液体があった!」
しかしカラスが「ナインダモウ」
 
「嘘を言え!」私は憤激した
「忌々しい奴! 悪魔にそう言えと指図されて来たか!
 ならば訊く! 他にこの悲しみを癒せる薬があるというのか!」
カラスは答えた「ナインダモウ」
 
「嘘を言え! いや、おまえはそれしか言えぬだけだ! 
 それとも何でも答えることができるのか!
 ならば言え! どこかこの世で レノアに会えるか
 また彼女をいだける土地がどこかにあるのか!」
「ナインダモウ」
 
「ようし! これで終わりだ!」
私は逆上していた
「嵐の中を闇の奥へと帰れ!
 その嘴が語ったでまかせの証拠となる羽根一枚残さず!
 さあ飛び去れ お前にも帰るところはあるだろう!」
「ナインダモウ」 
 
カラスは身じろぎもせず 
白い理性の女神の像の上 なおも なおもうずくまる
その両目は魔神のように据わり
ともしびは その影を床にゆらめかせる
この影の私の心から消え去ること
それこそは――ないんだもうッ!
                    2015年8月1日