ある幻想画家の手記

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横溝正史『真珠郎』のモデルとなったモダンボーイ

 私は特に横溝正史ファンなわけではありませんが、『横溝正史読本』という横溝のインタビュー本は大好きで、今でも読み返します。その中で今回読み直して気づいたことがあるので書いておきます。

今回読んで目にとまったのは、横溝さんがやたら青年期の探偵作家仲間である中村進治郎なる人物を「あんないい男いないな」「もう貴公子みたいな顔してんのよ」と連発していることでした。そういえば横溝の作品には美少年が出てくることが多い。代表作の『獄門島』や、あまりに有名な『犬神家の一族』もそうだし、特に戦前の作品では『真珠郎』『仮面劇場』など美少年を物語の軸に据えています。最初は怪奇幻想的な雰囲気づくりのためかと思っていたのですが、どうもそれだけではなくて実在の美少年からの影響があった、つまりこの中村進治郎なる人の美貌に横溝さんが感銘を受けたため、やたら横溝作品には美少年が出てくることになったのではないかと思えたのです。そう推測したくなるほど、中村氏をいい男、美少年と横溝氏はこの本でくりかえしています。
 
この中村進治郎という人は探偵小説らしきものも書いてたものの、当時(昭和一桁ごろ)のモボの最先端を行くファッションリーダーで男性ファッションの紹介などにもたずさわり、また大変なプレイボーイであったらしい。横溝はインタビュアーの小林信彦氏に「一体何が本業の人ですか」と尋ねられて「不良でしょうね」と爆笑しながら答えています。。実際そのとおりらしく、中村氏は太宰治よろしく女優と心中を図り、女性は死亡、自らは生き残ったものの二年後の昭和9年に27歳で自殺をとげるという奔放な人生を送りました。(なお横溝の言う不良は戦前の意味で、今言う反抗的で粗暴な少年という意味ではなく、プレイボーイ、遊び人の意味です)
 
そして中村氏の死の二年後、横溝の戦前の代表作『真珠郎』が書かれることになるわけですが、おそらくこの殺人鬼美少年真珠郎のモデルが中村進治郎氏なのではないかと思うのです。実際、心中した女性が死んでいることのほか、横溝先生の語るところによれば、日本探偵小説の祖のひとりである小酒井不木氏の死もこの中村氏が遠因のひとつとのこと。その他にも中村氏と関係を持ってなくなった方がいて、横溝先生自身もまた喀血して療養生活に入ったとき、警察に釈放された中村氏が訪問に来たさいには「今度は自分の番か」と怖くなって中村氏に会わなかったとか。そういった一連の殺人的(?)因果と中村氏の美貌への思いが混ざり合って真珠郎というキャラクターが創造されたのではないか……。
だって、進治郎……真珠郎……。
 

中村進治郎氏
写真引用元:
むかしの装い
―昔のこと、装うこと―
新青年』とモダンボーイの総帥、中村進治郎さんのヴォガンヴォグ
(ご好意に感謝いたします)